スーパーふどげりさ

ふどげりさとはッッッ!!!神代より行われている行為のことである!!!!!

『令ジェネ』も期待!期待の新鋭・杉原輝昭監督の演出とは

一年ぶりのブログ更新です。まじか……



ちょうど1週間前、映画『仮面ライダー 令和 ザ・ファースト・ジェネレーション』の脚本が高橋悠也さん、監督が杉原輝昭さんと発表されました!
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脚本の高橋さんにつあてはもはや説明不要でしょう。「エグゼイド」で全話脚本を執筆し、「ゼロワン」でもメインライターです。「平成ジェネレーションズ」2作品でクロスオーバー作品の手腕も立証済みですね。

では、監督の杉原輝昭さんはどういう方なのか? 

杉原監督は「ゼロワン」のパイロット監督(1・2話を担当 )にして、「快盗戦隊ルパンレンジャーVS警察戦隊パトレンジャー」でもパイロット監督を担当。メイン監督として、「ルパパト」では1・2話のほかにも、劇場版、伝説の旅行回、デストラ撃破回、最終3話などを監督されています。

デビューは『テレマガとくせいDVD 手裏剣戦隊ニンニンジャーカニンジャーVSスターニンジャー百忍バトル!』。その後ジュウオウジャーでTV本編の監督デビュー、キュウレンジャーを経てルパパトではメイン監督に、ルパパト終了後は「仮面ライダージオウ」のアギト回を担当し、その後ゼロワンに……という形です。


さて、経歴紹介はここまでとして、杉原監督の演出はどういう特徴があるのでしょうか?
杉原監督らしい演出として多くの人が認めるのは、「カメラワーク」や「アニメ的演出」でしょう。


①カメラワーク

杉原監督作品では主観的な視点を多用し、ヒーローが超ダイナミックに動き回るのが特徴でしょう!

代表例として挙げられるのは、なんといっても「ルパパト」の360°カメラを利用した主観視点! 1話を見た時筆者は度肝を抜かれました。
この360°カメラを使った映像は他の監督回でも多用され、「ルパパト」を代表する演出となりました。

杉原監督作品はTVデビューの「ジュウオウジャー」から「ゼロワン」に至るまで、このような演出がしばしば使われます。
ジュウオウジャー」で敵幹部のアザルドが撃破される46話では、等身大戦闘においてはジュウオウジャー視点でアザルドに攻撃を加える様子が撮られ(GoPro使ってるのかな?)、また巨大戦ではアザルドの核を破壊する際、ジュウオウジャーたちがロボから出てきて、ミニチュアビルを跳び移りながら核に向かっていく様子が描かれます。合成が素晴らしい!

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「ゼロワン」1話では、ゼロワンが車から車に跳び移り、バスの中を縦横無尽に動き回る姿が見られました。(停車ボタンが蹴られて「つぎ とまります」と鳴るのが芸コマ!) 
空中と跳び移っていくという点で両者に共通点もありますね。

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また、「ルパパト」では360°カメラのほかに、巨大戦においても大胆なカメラワークが特徴的でした。
第2話においては前半にルパンレンジャーとパトレンジャーがビークルで追いかけっこをし、後半は敵のガラット・ナーゴと、ルパンレンジャーのロボであるルパンカイザーの一騎討ちと、2度にわたって巨大戦が繰り広げられるわけですが……
どちらにおいてもCGが多用されているのが大きな特徴といえましょう。戦隊ロボ戦はCGの使用も増えてきたとはいえ、現在もアナログ特撮がおもに使われているわけですが、今回は数えてないけどおそらく尺の半分以上はフルCGのカットなのではないでしょうか?
CGの多用によってルパンカイザーは従来のロボにはない、スピーディーかつダイナミックな戦闘が可能となったのです。

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また、劇場版ではパトレンジャーのパトカイザーと、劇場限定となるルパンレックスが共闘。本編にはないルパンレンジャー&パトレンジャーの二大ロボが並び立つことになるわけですが、ここでもCGを多用し超カッコいいロボ戦となっております。(これに関してはのちほど詳しく)

②アニメ的演出

杉原監督作品では、戦闘・ドラマパートともに、アニメチックな演出が多く見られるのがもう一つの大きな特徴といえると思います。
「ジオウ」のアギト編では、ジオウトリニティとアギト・トリニティフォームの共闘が実現したわけですが……ラストのアナザーアギトに向かってのダブルライダーキックが白眉です。
①アナザーアギトにアップでキックが炸裂!→②バウンドして、さらにもう一度蹴りが当たる→そのままジオウ&アギトがアナザーアギトを、地面を削りながら押していって最後には壁に激突……という流れになっております。杉原監督がこの回で初のライダー担当ということでさぞ気合いも入っていただろうと想像できますが、劇場版かと思うほどでした。(普通の回だと、横向きにライダーが怪人に突っ込んでいって爆発するだけとかざらにあるし……)(スケジュールの都合とかもあるだろうし他の監督を悪く言うつもりはないけど)

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そして、炎から出てくるジオウ&アギトのなんとかっこいいことか……!
こういう一枚絵的な決めカットをアニメ的に感じるのですが、どうでしょうか?
(余談ですが、もし山口監督だったらCGじゃなくて本物の炎だったと思う)

さて話題を戻して「ルパパト」劇場版のロボ戦。
このロボ戦は、杉原監督の凄いところが全部詰まってるといっても過言ではないと思います。もちろん特撮監督である佛田監督が貢献したところも大きいでしょうが。
ファンネルで攻撃するルパンレックスもハイパーかっこいいですし……そのルパンレックスが空中に飛び上がり、月を背負うのがまたたまらない!
月や夕日を背負う戦隊ロボは比較的よくある演出ですが……固定カメラワークではなく、他の視点から違和感なく繋いでおり、CGが発展した時代ならではの演出といえます。
ラストのとどめは、二体の怪人に向かいルパンレックス&パトカイザーがすれ違いざまに斬りつける!ここのカメラワークもアナログではまずできない、高速でビル街を回り込むようなものに。こうした高速での戦闘は、劇場で見るとさらに迫力が増します。
そして画面両端から二大ロボが中央の怪人を一閃……そして魅利と圭一郎がオーバーラップされます。
「ルパパト」視聴者はご存知のように、この作品全体で快盗と警察、特に魅利と圭一郎の関係性が丁寧に描かれてきました。魅利は圭一郎=パトレン1号と知っているが、圭一郎は魅利=ルパンレッドと知らない非対称。そして魅利はまっすぐな圭一郎に憧れとコンプレックスを抱く……そんな複雑な関係を、このカットは言葉ではなく示しているといえます。

ドラマパートの流れに移行します。「ルパパト」ラスト3話ではついにルパンレンジャーの招待をパトレンジャーが知ったうえで物語が進行するわけですが……49話では魅利のコンプレックスがついに昇華される様が描写されます。
その場面で、詳しくはネタバレになるので書きませんが……朝焼けを背景として描かれるのです。

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ルパンレンジャーのメンバーは夜に由来する苗字、パトレンジャーは昼に由来する苗字を持ち、なかでも「夜」野魅利と「朝」加圭一郎。その二人が交わり、拗れていた関係性がいまここに昇華される。そのシーンにふさわしいメタファーだと思いませんか?
さらに最終回ではその二人の精神的な対話において、ウユニ塩湖が用いられています。

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アニメかよ……!


このように、杉原監督は「ダイナミックなカメラワーク」×「アニメ的な演出」により、新鮮な映像を私達視聴者に見せてきてくれました。
「令和 ザ・ファースト・ジェネレーション」は杉原監督初の長編映画。話の展開はもちろん、このような演出に注目して見るのも面白いのではないでしょうか?

(ちなみに→ルパパト映画公開前、かの悪名高きマイナビニュースが杉原監督にインタビューしています。そちらも読んでみるとさらに面白いかと)

news.mynavi.jp

     

実写化はなぜ嫌われるのか


釣りみたいなタイトルですね!!!!!



こんにちは。シキポンです。

いや、釣りみたいなタイトルだけど釣りではない。この記事は、文字通り「漫画・アニメの実写化作品はなぜ(一部に)嫌われるのか」を考察するものである。

漫画・アニメ、あるいはゲームなどの、いわゆる二次元コンテンツは、実写映画・ドラマのメディアミックスが発表されるたびに「やめろ!」というバッシングが発生する。そして、情報解禁の段階で原作からのアレンジが大きいと判明した場合はなおさら拒否反応が大きくなる。実際に公開されたら好評だった作品は決して少なくないにも関わらず、「実写化ものはほとんどがクソ」というパブリックイメージは、なぜか払拭されない。この理由を考えていきたい。



隠れオタクの恋愛戦略』という漫画がある。まあタイトル通り、隠れオタクの主人公が好きな相手(この子も隠れオタク)にアプローチする漫画なのだが、その第8話は映画デート回。それも実写化もので……という話なのだ。(とはいえ、主人公とヒロインは偶然居合わせた形であり、すれ違いコントが話のメインである)
この回では、いわゆる実写化の悪いイメージの典型が多く挙げられていて興味深い。考察の前段階として、実写化に対する悪いイメージがどんなものかを見ていくために引用してみよう。ちなみに、下記のリンクにて無料公開中。当該の8話は11/24まで。

pocket.shonenmagazine.com

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このコマからわかる通り、実写化嫌いな人は「原作再現」にこだわりを持つ人が多いのではないか。具体的なアンケート調査などを行ったわけではないので憶測に過ぎないが、ツイッターなどを見る限りではそういう傾向がありそうな気がする。
(なお、この記事はこんな感じで、憶測に憶測をかさねる形で進行する。よって信憑性は乏しく、あくまで仮説程度に捉えていただけると幸いである)


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さらに、「監督は原作を読んでいないのでは」という疑念もよくあるものである……と思う。これは前述の原作再現史上主義からの発展だと思われる。

 

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かと思えば、「衣装がコスプレにしか見えない」という批判も同時にある(これもよく見る)。

概して、ここから読み取れる実写化嫌いの人々の傾向として、原作再現を重視することが読み取れる。
これは現実でもある程度あてはまることではなかろうか。もちろん単純に出来の良し悪しによるところも大きいだろうが、原作再現を重視した『銀魂』は好評であり、世界観からして原作と異なる『進撃の巨人』前後編は大きく批判された。例えその改変が、原作者に求められたものであっても。その一方で、実写化に嫌悪を抱かない人々は、改変を2時間ほどの映画にする上の翻案として許容し、内容次第では肯定すらする傾向がある(自分の観測範囲では)。

(余談だが、実写化して原作にはない恋愛要素が追加された作品ってどれくらいあるのだろう…)

これの理由として、実写化嫌いはメディアミックス作品全般を、原作を木の幹としたら細かい枝のようなもの、つまり派生として見ている、ということが挙げられるのではないか。一方、許容派はあくまで原作があるというだけで、ある程度独立した一つの作品として見ているのである。

これは「漫画原作の映画」ではなく、あくまで「実写化」という言葉が使われがちな点からも裏付けられる。

許容派は「原作要素はあまり残っていないが出来の良い作品」と「多少不出来だが原作再現を重視している作品」の二択だと前者を選び、嫌悪派は後者を選ぶのだ。(ただ、そもそも嫌悪してるので前者も後者もダメ、という可能性もある)

 

(あと、この漫画読んで思ったんだけど、主語でかくない?原作ファンは全員実写化反対みたいに言ってる…。まあ主人公の意見=作者の意見ではないが)

そしてもう一つの傾向として、スタッフのスキルや志を低く見積もりがちな傾向が挙げられる。さすがに『隠れオタクの~』にはなかったが、「スタッフは金儲けのことしか頭にない」「原作愛がなく、自分の思い通りにすることしか考えていない」という叩きはよく見られる。
さらに、実写化嫌いの多く(念を押しとくとこれは具体的な根拠を挙げない、これまでの印象からのいわば藁人形です)は実写化に携わったスタッフを、その実写化作品でしか評価しない。たとえば三池崇史監督は『テラフォーマーズ』や『逆転裁判』の監督でしかなく、樋口真嗣監督は『進撃の巨人』の監督でしかないのだ。もっとひどいときには、監督の名前を知らないまま「悪い監督」というイメージだけで語っている気がする(藁人形です)。
もちろん、良い作品のある監督だからといって、悪い仕事を無理に擁護する必要はない。しかし、一つや二つの嫌いな作品だけで監督の力量そのものを評価するのはいかがなものか。


藁人形叩きに勤しみすぎた感があるので話題を戻す。
実写化嫌いの大きな特徴として、「実写化」ならなんでも叩くわけではないというものがある。
これも具体的な根拠のないものに過ぎないのだが……
①小説よりも、漫画・アニメ・ライトノベルなど、固定されたビジュアルのものを叩く。
②現実離れしたことが起こらないドラマ作品よりも、SFやファンタジー要素のある作品を叩く
青年漫画よりも少年漫画を叩く

これはどこから生じるのだろうか(今回、本当に推測を重ねすぎてるけど、まあ……)。
思うに、絵柄、あるいはそれに関連するリアリティラインの問題が大きいのではないか。
青年漫画は、例えば『いぬやしき』『亜人』など、たとえSF・アクションのあるものでも、絵柄もリアル寄りであり、また現代が舞台であるため、漫画の絵を実写にしたときの印象の乖離が少ない。
一方、少年漫画の多くは絵柄が実写から離れており、また中には現代からかけ離れたファンタジーであることも少なくない。よって実写にしたときに拒否反応が出やすいのではなかろうか。また事例は少ないが、ライトノベルや萌え系の漫画を実写にしたときは尚更絵柄との乖離が大きくなる。「二次元は二次元、三次元は三次元の良さがあるのに」のような意見はここに起因すると推測する。要するに、実写離れしたディフォルメの大きい絵柄は、どちらかというと生身の人間とは別のものとして見られているのである。
また、これは絵柄だけでなく作風にも同じことが言える。心情描写だとか細かい動作など、絵柄以外にもディフォルメが大きいものほど実写にしたときの拒否反応が大きくなるのではなかろうか。
例えば、今自分は『ブルーピリオド』『凪のお暇』『かぐや様は告らせたい』を読んでいるが、前二者は実写にしたのをイメージしても違和感がない、というかドラマのほうがアニメよりいいとすら思えるのに、『かぐや様』はあまり実写化向きでないかな、と思えるのだ。もちろん、もし実写化するならばそれはそれで見てみたくはあるが。(余談ですがどれも面白いのでみんな読んでね)

 


また、漫画作品などの実写化の報があるたびに『デビルマン』の事が言われ、そしてこれはさらに顕著だが、ハリウッド映画化の一報があると「『DRAGONBALL EVOLUTION』のことを忘れたのか」とか言われる。それぞれ14年前と10年前の作品だと言うのに!

これはおそらく、あまり情報を積極的に仕入れていない人にとっては、悪いものの印象が残りやすく、一方で良いものは印象に残りにくい、という心理からだろう。



最後に、各ファンの分断について考察してみたい。
これらの上記の考察では、実写化ものに対する拒否反応を考えてきたが、それにしても実写化作品が叩かれ過ぎだ、と感じることがある。
実写版『がっこうぐらし!』のポスターが発表されたが、「スタッフは原作のことをわかってない」というツイートが1000以上リツイートされていた。まだ予告とポスターしか出ていないのにも関わらず、反発を抱く人が多いのだ。

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がっこうぐらし!』はゾンビものとはいえ絵柄は可愛らしいので、前述した実写にしたときの拒否感が大きいのはわかる。しかし、いくらなんでも反射的に叩かれ過ぎではなかろうか。
私が提唱する説は、「実写化ものを叩く層は映画をあまり見ない」説だ。どちらかというとアニメや漫画などのいわゆる二次元コンテンツを中心に親しみ、そもそも実写で役者が演じる作品をあまり見てこなかったため、実写のコンテンツを見る文法的なものがあまり培われていないのではないか。
さらに、ツイッターでは特に顕著だが、ネット上ではなんとなくファンコミュニティのようなものが発生し、自分と似た趣味の人との交流が多くなり、そうでない人とは少なくなる。そのコミュニティの持つ力のようなもので、自分を無意識・意識してを問わず「実写化反対派」であると規定し、そのポジションから多くの物事を判定するようになるのではないか。これは実写化を受け入れる者もまた然りだ。
ツイッターで政治の話をしている界隈を見てもわかるが、人は各事柄を是々非々で判断するよりは、自分の思想のポジションを定め、物事をわかりやすく一律に賛成・反対するようになりがちである。そして集団の中だとこの傾向は更に強化される。学術的にも、ある似たような考えを持つ集団の中にいる人々は、考えをより先鋭化させていく傾向があるらしい。
要するに、多くの実写化に反対する人々は、作品の良し悪しとかはあまり考えず、とりあえず何かの作品が発表されれば「実写化け反対」と言っている傾向があるのではないか。監督をよく知らないまま悪く言う傾向もここから来るように思える。
また、これは自戒も込めて言うが、実写化反対の人を批判する人々も、実写化反対派に苛立つあまり、実写化作品を好意的に見るバイアスがかかりがちなのではないだろうか。


まとめると、仮説はこうだ。


  1. 実写化作品をあくまで原作に付随する枝葉のように考えている。
  2. 特にディフォルメの大きいものは、実写との差が絵的にもそれ以外でも大きいため違和感が生じやすい。
  3. 悪い印象は良い印象より残りやすい。
  4. あまり実写作品を観ないコミュニティが、比較的反射的に叩いている。

いかがだろうか。


ここまで、実写化に反対する人々がなぜそのような行動をとるか考察してきた。繰り返すがあくまで根拠のないものなので、あくまで仮説として捉えていただきたい。
最後に自分の実写化作品に対するスタンスを言っておくと、特にSF・アクション要素のある作品はどんどんやってもらいたい。
世知辛い世の中でこういったジャンルは原作付きでないと企画が通りにくいらしい。特撮好きとしては、映像技術をどんどん発展させていくために、実写化ものであってもじゃんじゃんこういったジャンルは作られてほしいのだ。

 

 

「特撮」には、二つの意味がある

こんにちは。シキポンです。
前回の記事からずいぶん間が開きましたね。怠惰……
間が開きすぎて毎回書き方が安定しないというね。バーチャルyoutuberの記事なんて口調すら違うという。

さて今回のテーマはズバリ「特撮」です。
いや広すぎるだろ、とお考えになるかもしれませんが、「特撮」という言葉そのものについて書こうかと思います。

あなたは「特撮」と聞いて何を思い浮かべますか?
もちろん世代によっても異なってくると思いますが、やはり仮面ライダーは鉄板ですね。毎年話題になるし、これだけ見てる方も多いでしょう。
他にもウルトラマンや戦隊、またシン・ゴジラのヒットも記憶に新しいゴジラなど、いろいろシリーズがあります。
概すると、ヒーローや怪獣が出てくるテレビ番組や映画のことを思い浮かべる方が多いでしょう。

ですが!!特撮は元々、「特殊撮影」の略なのです。
では、特殊撮影とは? 普通に人や物を撮っただけでは撮ることができないものを、文字通り特殊なやり方で撮影するやり方なのです。

つまり、特撮には二つの意味が存在する、ということになります。
① ヒーローものや怪獣ものなどの「ジャンル」
② 特殊撮影という「技法」

「特撮かー、子供の頃好きだったなあ」は、おそらく①を指していると思われます。
一方、庵野監督が開いた特撮博物館は、どちらかというと②のニュアンスが強いかもしれません。
①と②は切っても切れない関係であはありますが、かといって完全に一致するわけでもないため、次のような会話も考えられます。

A:俺、特撮好きなんだよなー!
B:えーっ!実は俺もなんだ!実はこの前ウルトラマンオーブの劇場版見たんだよね!どのウルトラマンもかっこよかったー!
A:だよね!あと、デアボリックが街を破壊するシーンで、巨神兵でも使われてた伊原式爆破があったのほんと良かった~。
B:イ、イハラシキ……?新しいアニメかなんかのタイトルでしょうか?

伊原式爆破については自分で調べてみよう。

では、②の意味の特撮について解説しましょう。
(以降少し長くなるので、このへん時間や興味のない方は読み飛ばしていただいて大丈夫です)
スマホでもすぐに撮れる初歩的なものとしては、
・二回に分けて撮った映像を繋いで、人が瞬間移動したように見せる
・逆再生することによって、割れたコップが元に戻る
などが挙げられますね。
トリック撮影、とも言い換えられますね。
これはジョルジュ・メリエス(分かりやすく?言うと、マンガでわかるFGOのリヨライダーです。多分)が撮った『月世界旅行』という映画で初めて試みられたやり方と言われています。なんと著作権が切れてるので、ニコニコで合法的に見られちゃうってワケ!
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そして、ウィリス・オブライエンレイ・ハリーハウゼン円谷英二などの手によって特殊撮影技術は発展してきました。
人形をちょっとずつ動かしては撮り、写真を繋いで動画にすると人形が動いて見えるコマ撮りはその代表格です。
そして映画『ターミネーター2』や『ジュラシック・パーク』などを皮切りに、現在はCGが使われまくる時代になりました。
CGはコンピュータ上で作られるものですが、実写と合成する以上、これも広い意味では特撮と言えるのでは、と筆者は思っています。まあ、シーンによって全部CGの場面があったりするのは微妙なところですが……。
また、現代ではCGによって従来のアナログ特撮が廃れたかというとそうではなく、もちろんウルトラマンなどではミニチュアが使われるほか、ハリウッド映画でもCGにはない実在感が出せる、として実物での撮影にこだわる監督も少なくありません。

二つの意味についてもう少し詳しく書いてみます。
①の、ジャンルとしての特撮は、②の撮影技術の特撮を使っていることがほとんどでしょう。
ウルトラマンや戦隊のロボ戦にはミニチュアが欠かせないし、ミニチュアはあまり使わない仮面ライダーもCGやワイヤーアクションはたくさん使用されます。
一応、①の特撮だけど②の特撮じゃない、という例としてはヒーローショーが挙げられるでしょうか?ヒーローショーも様々な工夫がなされているものではありますが、基本的には撮影せずその場で見るものなのですから。
しかし、①の意味での特撮ではないけど②の意味では特撮、というのはしばしばあると思います。
たとえば、ハリウッド映画はアベンジャーズなどのアメコミヒーローものであってもあんまり特撮、とは言われませんが、撮影技術としてはCGや特殊メイク、爆破などをふんだんに使っているという点では、②の意味で特撮と言えましょう。
日本の作品でも少年漫画の実写化ものなどはハリウッド同様ですし、あるいは大河ドラマででかい建造物が炎上するシーンなどではミニチュアが使われてるらしいです。これも①の特撮ではないけど②の特撮である、という例でしょう。

ここまで長々と、撮影技法としての特撮の話をしてきました。
それでは、その②の意味の特撮の魅力とは一体なんなのでしょう?
それは、職人の手作り感によるあたたかみである…………とは、私は思いません。
手作り感、チープさと割と表裏一体の概念だと思うので……。
そうではなく、(CGも含め)映像自体がもつ魅力、というのがあると思います。つまりアニメの凄い作画があるのと同じで、凄い特撮があるのです。
最近の例だと、ルパンレンジャーVSパトレンジャーはそうした「映像の面白さ」の宝庫といえます。等身大のアクションにおいても縦横無尽のカメラワークや素晴らしい体技、そしてロボ戦においてはCGを生かしたこれまでにないスピーディーなロボの動き、従来より高くリアルなビル……。
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またウルトラマンR/Bも、5話のブル・ウインドVSグエバッサーの主観風の長回し戦闘や、8話のアリブンタ出現など、これまでにない映像を見せてくれます。
果たしてジオウはどうなるでしょうか。
そしてシン・ゴジラでは、庵野監督のもと調整に調整を重ねたCGや、その中の要所要所で使われるミニチュアで、新時代の怪獣特撮を見ることができました。
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これらを見返せる環境のある方はぜひ見返してほしいです。本当にビックリする、ド迫力の映像となっていますよ!
そして、魅力的なストーリーやキャラクターも特撮(ジャンル)の大きな魅力の一つですが、それだけではなくこの記事を読んで、特撮の素晴らしい映像を楽しみ、そして「この映像はどうやって作られたんだろう?」と興味を抱いていただければ幸いです。

人間とキャラクターの狭間で~バーチャルYoutuber論~

※"中の人"について言及しますが、特定するような言及はありません。
※ここでは、いわゆるアバター型よりは、キャラクター型のバーチャルyoutuberについておもに言及します。

※オレ、言うほどバーチャルYoutuber追ってない。あとアイドルに言及するけど、アイドルについてもそんなに詳しくないままふわふわと語っている。

 

アイドルにセクハラリプライを送る……というほど極端ではなくても、アイドルにもおそらくアイドルらしくない側面がある、一人の人間である、ということを、頭では理解していても感覚では分からない人もいるだろう。最近アイドルの不祥事がいくつかあったが、それで神話が崩壊してしまった、と思う人もいることだろう。


アイドルはいわば、ある人をその名のとおり偶像として祭り上げる過程である。しかし、今流行の真っ只中のバーチャルyoutuberは、この偶像化をさらに推し進めたものなのではないか?


バーチャルyoutuberとは、対象の人間性の一部のみを抽出し、強調し、キャラクター化させる試みである。


これは、前述のアイドルはじめ芸能人などの有名人、さらには自分の友達など誰に対しても行われることであるが、バーチャルyoutuberは見た目そのものを(アニメ的な)キャラクターにするということでその側面が強調される。
バーチャルyoutuberにおいては、「人間をキャラクターとして見る」という呪術的な行為が発生するのである。

 

 

バーチャルyoutuberはアイドルに近い」ということはたまに聞くし、この記事でも書いたが、一番近いのは80年代のアイドルではなかろうか?

「アイドルはトイレに行かない」ならぬ「キズナアイはトイレに行かない」である。80年代アイドルも、人間をキャラクターとして見るという点に関しては2000年代以降のハロプロやAKB・坂系列アイドルよりさらに進行していたのではないか。


2000年代以降のアイドルは、多くの場合成長という文脈が付与される。つまり、「最初は未熟だったけど、仲間との絆や挫折・立ち直りを経てアイドルとして立派になる」という物語が付加されるのだ。これは、甲子園球児などのスポーツ選手の熱血・感動物語にも近い。


対して、80年代アイドルは、もちろんアイドルとしての成長はあっただろうが、それは観客が見いだすものであり、それが積極的に打ち出されることはない。代わりに存在するのは、さっきも書いたが――「アイドルはトイレに行かない」という幻想なのだ。


もちろん、観客も実際にはアイドルはトイレだって行くし、スーパーで買い物するし、人によっては彼氏もいるかもしれないということは分かっている。が、それをあえて見てみぬふりをし、「我々観客とは異なる、アイドルという生き物」として幻想を描くのだ。これはアイドル自身とそのスタッフ、観客による共犯である。


バーチャルyoutuberの話に戻る。我々視聴者も、かつてのアイドルに対して行ったのと同じように、「実際には中の人がいる」ということを知りつつ、あえて見てみぬふりをし、彼女らは人間ではなくキャラクターであると見なし、動画や生放送を楽しむのである。

 

 

それでは、人間とキャラクターの違いとはどこにあるのか。
私はこう考える。「あらゆる多面性を含んだのが人間であり、一部の強調された側面しか持たないのがキャラクターである」と。


人間はTPOによって態度を変えるし、それぞれ独自の思考ロジックを持ち、また良性と悪性が同居している。要するに多面的なのだ。


対して(特に美少女ものの)キャラクターは、口調は形式的に強調されているし、どのような行動をするかは(時にエキセントリックなまでに)突飛なものとなっているのだ。


いや、落ち着いてほしい。多分読者の皆様は、そんなことねーぞと思ってることだろう。事実、そんな単純には言い表せず、キャラクターを生き生きとしたものにするために多くの創作者たちが努力をしていることを私は理解している。しかし、あえて単純化のためこう言うことを許していただきたい。

もちろん千差万別ではあるが、特定のキャラクターのテンプレートが知られていることは確かである。ツンデレなどが特に有名である。ツンデレ属性(必ずしもツンデレでなくてもいい。特定の属性であるキャラクターについて)と呼ばれるキャラクターの中には、いかにもすぎて一面的……というキャラを思い浮かべることができる読者も多いのではないか。キャラクター、特に二次元で表現されるものには、そういう側面があるというのを納得いただけただろうか。いただけなかったとしても許してほしい、先に進みます。


そして、バーチャルyoutuberとは、これまで述べてきたように視聴者との共犯において、人間の人間性を捨象しキャラクター化する試みなのだ。つまりどういうことか?
バーチャルyoutuberの、いわゆる"中の人"は、当然ながら多面的で厚みのある存在である。食べ物の好みがあり、通ってきた学校があり、政治へのスタンスがある(これはない人もいるかも)。


しかしバーチャルyoutuber、特に企業勢は、"中の人"にはそれがあっても、自分からそれを表明しないかぎり、それらの多面性はないものとして扱われるのだ。あるのは、各バーチャルyoutuberの動画などにおいて現れた性格などの側面、さらに言うとそれらのうちで特に突飛なものだけだ。たとえばのじゃロリおじさんは「世知辛いのじゃ~」という有名な発言やコンビニバイト、電脳少女シロはFPSゲームにおけるサイコパス発言である。


もちろん、各バーチャルyoutuberには様々な多面性がある。何故なら、"中の人"は人間だから。そもそものじゃおじさんは就職したし。(おめでとうございます)しかし、ファンアートで扱われるのは、各バーチャルyoutuberの特に突飛な特徴であることが多い。
つまり、バーチャルyoutuberのキャラクター化とは、各"中の人"の多くの側面のうちから一部だけをぬきだし、そして二次創作などにおいては強調する行為なのだ。

 

そして、これもアイドルなどと共通していえることなのだが、もう一つバーチャルyoutuberの大きな特徴がある。それは「演技」ということである。


キズナアイは、あくまで電脳空間から出られないAIキャラクターだ。しかし、我々は、"中の人"は普通の人間であることをなんとなく理解しており、だが運営側との共犯においてAIのキャラクター「だということにしている」というのは、これまで述べたとおりだ。


しかしキズナアイをAIのキャラたらしめているのは、視聴者と運営だけではない。なによりも"中の人"がキズナアイとして振る舞う、ということが重要なのである


これは想像するしかないが、"中の人"は、少なくともAIではないのは確かであるだけでなく、もしかしたら、キズナアイとは全然違う性格かもしれない。もしかしたら、輝夜月の"中の人"はリアルでは静かな人かもしれない。(いやそれはないだろ、と思うでしょうが、あくまで可能性の話です)


そう、バーチャルyoutuberにおいて、そのキャラクターとしてのバーチャルyoutuberと"中の人"は、パーソナリティが異なる可能性がある。これがいわゆるロールプレイである。


ロールプレイで、性別も年齢も異なる者、果ては人間以外のものも演じられる。それだけではなく、"中の人"とは異なる性格を装うこともできる。……いや、装うというのはおかしいかもしれない。なぜなら、"中の人"は"中の人"、バーチャルyoutuberバーチャルyoutuberという考え方があるからだ。だがその話はここでは深入りしない。


それと、動画より生放送、ソロよりはコラボのほうがおそらくロールプレイしにくいことを補足しておく。他の人や視聴者に生での反応を返すのにも全く素を出さずにいるのは難しい。しかし、それができるならば……ある意味では、シャーマンといえるのではないか。

 

ここまで、キャラクター化と演技について述べてきた。これはある意味で呪術性があるのではないだろうか。呪術とは、人間を祭り上げる試みだ。また、さきほどシャーマンを例に出したように、非常に高度なロールプレイは降霊術とも似ている。

 

しかし、私が少々心配しているのは、"中の人"がキャラクターに呑まれないか?ということだ。

 

未見だが、映画『パーフェクト・ブルー』や『ブラック・スワン』は、役作りに没頭するあまり自我が危うくなっていく主人公を描いていると聞く。また現実でも、ヒース・レジャーの死はジョーカーの役作りと全く別件と考えるのは難しいだろう。

 

バーチャルYoutuberは、役と役者の距離が一般的なものよりはるかに近い。このような事例が今後起こらないとは限らない。さらに、おそらくは実在感を高めるためだろうが、多くの企業勢バーチャルYoutuberは"中の人"が非公開となっている。(これも呪術的だと思う)よって、このようなことが起こってもひた隠しにされるかもしれない。いや、本当に隠されているだけで、本当に役との境界が曖昧になった"中の人"がいるかも……。

 

もちろん、そうなったら適切な治療が必要なことは言うまでもない。しかし――不謹慎だが――そうなったら、面白いことだ、と思ってしまう私がいるのだ。

 

 

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現在の東映特撮(ライダー&戦隊)・監督レビュー

 ブログを立ち上げたもののなんも更新せずにいたが、なにも書かず放置し続けるのもアレなので……自分だからこそ書けるものをやろう+あまり気負わずに書けるものにしようということで、ライダー&戦隊で現在活躍している監督陣のレビューを行います。東映特撮は、スタッフだとプロデューサーや脚本家が語られることが多いですが、たまには監督・演出に注目しても面白いと思うのです。

 ただし、前提として、私はちゃんと覚えているくらいにしっかり見ているのは、ライダーはディケイド、戦隊はゴーカイ以降となります(特撮オタを名乗っておきながら!)。よって「この監督はクウガではこんなこともしていたのに!」みたいなことがあるかと思いますがご了承願います。

 五十音順・敬称略です。また、ライダー・戦隊をまたいで活躍する方もいるため、あえて両シリーズごとの記述にはしていません。

 

  

 

石田秀範

 

 厳しい演技指導とエキセントリックなギャグで有名ですが、シリアスなドラマの時のひりつくような緊張感がちても好き。アマゾンズ、いずれ見なきゃ…(あんまり語れない)

 

加藤浩之

 

 一番よくわからない。めちゃめちゃ丁寧に撮ってるときもあればすごい雑なときもある。ジュウオウジャー最終2話は割と雑だったと思う。キョウリュウジャー関連は全部良かった(33.5話も良かったし)。

監督ローテーションに入ったのはシンケンジャーとのことですが、劇場版を一切担当してないんですよね。一回くらいは見たい。

 

金田治

 

 春映画は不評が多いもののTVシリーズでは好評が多いですね。

特に鎧武はシリーズの代表的監督といっても過言ではないと思うんですが、たぶん合戦や戦国モチーフが好きなんじゃないかなあ。確かスーパーヒーロー大戦の乱戦も合戦モチーフでとどこかで言ってた…ような…

そのSH大戦は自分は未だ許してないものの映像の見所はそれなりにあると思います。しかし翌年のZはほんとうに無です。鎧武45話であんなにカッコいい最終決戦を撮った人と同じ監督が撮ったとは未だ信じがたい…。まあアクション監督でも違ってくるでしょうけど。

 

 

上堀内佳寿也

 

 監督デビューしたその年の暮れには既に劇場版を担当していた男。ヤバすぎる。

それも納得としか言いようがない素晴らしい演出の数々。ドラマパートのスタイリッシュなカメラワークとBGMをあえて流さず緊張感を高める演出、CGを効果的に用いた戦闘などが特徴でしょうか。

Vシネマのスペクター、エグゼイド39・40話、ビルド21話などキャラを精神的に追い詰める描写は特に気合が入っている気がします。

とはいえ平ジェネFINALは(総合的には好きですが)所々綻びも見られた印象。万丈がドラマでは主役に近いのにクローズはちょっとしか活躍しないとか。まあそんなの誰でも思うことだし、スケジュールが厳しかったとかの理由はあるかもしれないけど。今後の更なる躍進に期待。

 

坂本浩一

 

東映作品に加えウルトラなど、超過密な活躍でおなじみの監督。好き嫌いの分かれる面もありますが実力ある監督であることは確かでしょう。

坂本作品のアクションは気持ちいいワイヤーワークもさることながら、打撃の一発ごとが速いのにもかかわらず重みが感じられるのが凄いと思います。一般映画で活躍しているアクション監督でも一発が軽いものもある中でこれは凄い。

私が一番好きなのはMEGAMAXなんですけど、AtoZはこう、テレビシリーズの劇場版というのを超えてひとつの映画としての気迫というか風格というか、そういったものがあると思う。

欠点は、たまーーーになんですけど、人物が棒立ちでただ順番にセリフを喋っているように感じられてしまうことがある。東映じゃないけど、劇場版ギンガSでギンガビクトリーが初登場した直後とか…。伝われ。

 

柴崎貴行

 

 CGを効果的に用いた演出が得意という印象です。反面殺陣・アクションは地味目に感じます。ゴーバス夏映画とかはいい感じだったけど。

純粋な作品の出来となると別ですが、柴崎監督らしい演出が最も楽しめるのは『仮面ライダー大戦』だと思います。ヤマアラシロイドの針を弾きながら変身する鎧武のなんと鮮やかでかっこいいことか!

余談ですが、ドライブの夏映画、好きだけどなんか他の夏映画に比べて低予算感ありません…?(新規着ぐるみの数の少なさとか)ベンツ借りるのに結構かかったんだろうか。

 

杉原輝昭

 

 現在ルパパトで気を吐いている新鋭監督。

なんといっても特徴的なのはグルングルン回るカメラワークでしょう。ジュウオウジャーのアザルド撃破回でいきなり素晴らしい演出を見せ、ルパパトの1・2話ではさらに進化したカメラワークを見せてくださいました。2話のロボ戦は予算が多く使えるパイロットであることもあいまって、戦隊ロボ戦そのものを新時代に突入させたといっても過言ではないと思います。

一方現状の弱点といえば、緩急の急ばかりで緩が少ないことだと感じます。たとえばルパパトのOP演出は非常にかっこいい反面、チャカチャカと忙しなさもあります。

 

竹本昇

 

 ゴーカイジャーの最終回をはじめとした、既存の映像も混ぜ合わせた物量戦をパズルのように構築するのが得意な監督。199ヒーロー大決戦もそうですが、ゴーカイは氏の力量と戦隊愛がなければ成立しなかったでしょう。199は3大主題歌の使い方が完璧。

 しかし自分はドラマ部分でカメラが急に寄る感じの演出に若干苦手意識がある。 

 

田崎竜太

 

 崎の字が…。お許しください。

OP職人でパイロット職人。正直特撮は2000年代に主に活躍した印象があるのであまり語る資格がない気がしますが…オーズ最終回が素晴らしいことくらいは分かる。

「技巧派」との評価をたまに聞きますが、それを個人的に一番感じたのはMOVIE大戦2010のディケイドパートとWパートで演出がガラリと変わってる点。前者は豪華絢爛、ドラマはスタイリッシュに。後者はひたすら堅実に積み上げる。

あと個人的に最近見た『小さき勇者たち~ガメラ~』がとても良かったです。

なぜか逃げ惑う群集を、カメラのシャッター速度を上げて撮る。

 

中澤祥次郎

 

 宇都宮Pをはじめ多くのPからメイン監督として起用される方。各スタッフの信頼を勝ち得ているのでしょう。それも分かるとおり、全体的なバランスにも優れた優秀な監督だと思います。カット毎の繋ぎがかなり丁寧な印象。あとOP演出もスタイリッシュ。

ただ柴崎監督とは反対に、等身大アクションにはかなり力を入れる(ワイヤー使用カットの緩急のつけ方が好き)反面、CGバトルや戦隊ロボ戦はかなり淡白な印象。

あと戦隊はかなり高水準でライダーもしっかりこなすけど、なぜかライダー劇場版はウィザード・エグゼイドの2つとも、出来が悪いわけではないものの少々薄味気味に感じます。

カメラを横にスライドさせるカメラワークや、(主に劇場作品で)一方で観客に聞かせたい会話をしている一方で、背景で小声の会話や小芝居をやらせる演出が多い。

 

諸田敏

 

 カメオ出演と水落ちの人。

この監督は仮面ライダーWの32話、エクストリーム回が超好きです。特にNobody`s Perfectからの通常Wへ変身する流れは完璧。スローモーションの使い方が良い…。

なんだろう。専門的なことはわからないけど感情の乗せ方が上手いのかな?水の描写もそうですが、映像の綺麗さでは頭一つ抜けてると思います。

ギャグ演出は正直石田監督よりくどいところがあると思う。それ以外は好き。

ゴーストの夏映画はスカムな部分も多いけど、映画的な「画」の豊かさは近年のライダー夏映画でも髄一ではないでしょうか。指きりのシーンのなんと美しいこと!

 

渡辺勝也

 

 ゴーオンVシネマでの監督復帰おめでとうございます。

ドラマパートの演出において手持ちカメラをよく使い、そのブレの多い映像が作品のテンションと一致したとき、エモーショナルで素晴らしい回になると思います。ゴーカイのライブマン回はとても良いものです。

あとデカレンジャーを半分くらい見て止まってるんですが、『フルブラスト・アクション』ははちゃめちゃに出来が良いですね。時間停止ギミックの使いかたが上手いし、他の戦隊夏映画より尺が長いのもあり、バトルにしっかり時間をとってそれぞれが非常にかっこいいアクションを見せてくれます。

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「この監督がいない!」というのがあると思いますがご了承ください。

今の段階での各監督への印象をつらつらと述べてきましたが、これがこれからどう変化していくかが今後の楽しみです。まあ後で見たら自分で恥ずかしくなるだけかもしれないけど。

 

 

 

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自己紹介とか

はーいみなさんこんにちはーシキポンさんだよー。

 

ブログって何を書けばいいんだ…???

いやねえ、まず、ブログを書いているという事実が恥ずかしい。こう、幼き日々に見ていた憧れのブログの数々…それらに、形式だけでアクセス数などを考慮すると比べるのもおこがましいとはいえ、形式上では私も並び立っているのだよ!!!!わかるか!!!!!!

ははは、勝った。

 

本題に入ります。

自己紹介からいきましょうか。

私はシキポンというハンドルネームの存在で(なんかハンドルネームじゃなくてハンドルのほうが正式名称という話を聞いたことがあるが本当だろうか)、某で某をやっています。

おもに特撮とかの話が中心になると思います。とはいえ特撮に限定することなく行きたい。でも政治の話はしたくない。しない自信がない…

ハハハ、いざあらたまったことを書こうとしたら露骨に文章のテンションが下がってきよった。

まあ、この記事を見てわかるとおり、くだけた感じの文章でいこうと思います。

そしてこういった文章では常に危惧されることだが、今はビャーーーッて書いてても後で恥ずかしくなりそう。改稿をしれっと重ねてるかもしれない。というわけで、なんか弱みを握りたい人はここの魚拓とかとっておくといいかもしれない。

あっ無断転載はだめですよ。

あと、忙しい時に「あーーブログの更新もある…」と自由時間がさらに奪われるのがイヤなので気ままに更新とします。

これくらいか?わからん…

あと、ダジャレとかを記事に混ぜたりするかもしれないけど許してほしい。

 

あれ、これってボタン一つで太字とかできるの?すごっ。ハイテクやん。