スーパーふどげりさ

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実写化はなぜ嫌われるのか


釣りみたいなタイトルですね!!!!!



こんにちは。シキポンです。

いや、釣りみたいなタイトルだけど釣りではない。この記事は、文字通り「漫画・アニメの実写化作品はなぜ(一部に)嫌われるのか」を考察するものである。

漫画・アニメ、あるいはゲームなどの、いわゆる二次元コンテンツは、実写映画・ドラマのメディアミックスが発表されるたびに「やめろ!」というバッシングが発生する。そして、情報解禁の段階で原作からのアレンジが大きいと判明した場合はなおさら拒否反応が大きくなる。実際に公開されたら好評だった作品は決して少なくないにも関わらず、「実写化ものはほとんどがクソ」というパブリックイメージは、なぜか払拭されない。この理由を考えていきたい。



隠れオタクの恋愛戦略』という漫画がある。まあタイトル通り、隠れオタクの主人公が好きな相手(この子も隠れオタク)にアプローチする漫画なのだが、その第8話は映画デート回。それも実写化もので……という話なのだ。(とはいえ、主人公とヒロインは偶然居合わせた形であり、すれ違いコントが話のメインである)
この回では、いわゆる実写化の悪いイメージの典型が多く挙げられていて興味深い。考察の前段階として、実写化に対する悪いイメージがどんなものかを見ていくために引用してみよう。ちなみに、下記のリンクにて無料公開中。当該の8話は11/24まで。

pocket.shonenmagazine.com

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このコマからわかる通り、実写化嫌いな人は「原作再現」にこだわりを持つ人が多いのではないか。具体的なアンケート調査などを行ったわけではないので憶測に過ぎないが、ツイッターなどを見る限りではそういう傾向がありそうな気がする。
(なお、この記事はこんな感じで、憶測に憶測をかさねる形で進行する。よって信憑性は乏しく、あくまで仮説程度に捉えていただけると幸いである)


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さらに、「監督は原作を読んでいないのでは」という疑念もよくあるものである……と思う。これは前述の原作再現史上主義からの発展だと思われる。

 

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かと思えば、「衣装がコスプレにしか見えない」という批判も同時にある(これもよく見る)。

概して、ここから読み取れる実写化嫌いの人々の傾向として、原作再現を重視することが読み取れる。
これは現実でもある程度あてはまることではなかろうか。もちろん単純に出来の良し悪しによるところも大きいだろうが、原作再現を重視した『銀魂』は好評であり、世界観からして原作と異なる『進撃の巨人』前後編は大きく批判された。例えその改変が、原作者に求められたものであっても。その一方で、実写化に嫌悪を抱かない人々は、改変を2時間ほどの映画にする上の翻案として許容し、内容次第では肯定すらする傾向がある(自分の観測範囲では)。

(余談だが、実写化して原作にはない恋愛要素が追加された作品ってどれくらいあるのだろう…)

これの理由として、実写化嫌いはメディアミックス作品全般を、原作を木の幹としたら細かい枝のようなもの、つまり派生として見ている、ということが挙げられるのではないか。一方、許容派はあくまで原作があるというだけで、ある程度独立した一つの作品として見ているのである。

これは「漫画原作の映画」ではなく、あくまで「実写化」という言葉が使われがちな点からも裏付けられる。

許容派は「原作要素はあまり残っていないが出来の良い作品」と「多少不出来だが原作再現を重視している作品」の二択だと前者を選び、嫌悪派は後者を選ぶのだ。(ただ、そもそも嫌悪してるので前者も後者もダメ、という可能性もある)

 

(あと、この漫画読んで思ったんだけど、主語でかくない?原作ファンは全員実写化反対みたいに言ってる…。まあ主人公の意見=作者の意見ではないが)

そしてもう一つの傾向として、スタッフのスキルや志を低く見積もりがちな傾向が挙げられる。さすがに『隠れオタクの~』にはなかったが、「スタッフは金儲けのことしか頭にない」「原作愛がなく、自分の思い通りにすることしか考えていない」という叩きはよく見られる。
さらに、実写化嫌いの多く(念を押しとくとこれは具体的な根拠を挙げない、これまでの印象からのいわば藁人形です)は実写化に携わったスタッフを、その実写化作品でしか評価しない。たとえば三池崇史監督は『テラフォーマーズ』や『逆転裁判』の監督でしかなく、樋口真嗣監督は『進撃の巨人』の監督でしかないのだ。もっとひどいときには、監督の名前を知らないまま「悪い監督」というイメージだけで語っている気がする(藁人形です)。
もちろん、良い作品のある監督だからといって、悪い仕事を無理に擁護する必要はない。しかし、一つや二つの嫌いな作品だけで監督の力量そのものを評価するのはいかがなものか。


藁人形叩きに勤しみすぎた感があるので話題を戻す。
実写化嫌いの大きな特徴として、「実写化」ならなんでも叩くわけではないというものがある。
これも具体的な根拠のないものに過ぎないのだが……
①小説よりも、漫画・アニメ・ライトノベルなど、固定されたビジュアルのものを叩く。
②現実離れしたことが起こらないドラマ作品よりも、SFやファンタジー要素のある作品を叩く
青年漫画よりも少年漫画を叩く

これはどこから生じるのだろうか(今回、本当に推測を重ねすぎてるけど、まあ……)。
思うに、絵柄、あるいはそれに関連するリアリティラインの問題が大きいのではないか。
青年漫画は、例えば『いぬやしき』『亜人』など、たとえSF・アクションのあるものでも、絵柄もリアル寄りであり、また現代が舞台であるため、漫画の絵を実写にしたときの印象の乖離が少ない。
一方、少年漫画の多くは絵柄が実写から離れており、また中には現代からかけ離れたファンタジーであることも少なくない。よって実写にしたときに拒否反応が出やすいのではなかろうか。また事例は少ないが、ライトノベルや萌え系の漫画を実写にしたときは尚更絵柄との乖離が大きくなる。「二次元は二次元、三次元は三次元の良さがあるのに」のような意見はここに起因すると推測する。要するに、実写離れしたディフォルメの大きい絵柄は、どちらかというと生身の人間とは別のものとして見られているのである。
また、これは絵柄だけでなく作風にも同じことが言える。心情描写だとか細かい動作など、絵柄以外にもディフォルメが大きいものほど実写にしたときの拒否反応が大きくなるのではなかろうか。
例えば、今自分は『ブルーピリオド』『凪のお暇』『かぐや様は告らせたい』を読んでいるが、前二者は実写にしたのをイメージしても違和感がない、というかドラマのほうがアニメよりいいとすら思えるのに、『かぐや様』はあまり実写化向きでないかな、と思えるのだ。もちろん、もし実写化するならばそれはそれで見てみたくはあるが。(余談ですがどれも面白いのでみんな読んでね)

 


また、漫画作品などの実写化の報があるたびに『デビルマン』の事が言われ、そしてこれはさらに顕著だが、ハリウッド映画化の一報があると「『DRAGONBALL EVOLUTION』のことを忘れたのか」とか言われる。それぞれ14年前と10年前の作品だと言うのに!

これはおそらく、あまり情報を積極的に仕入れていない人にとっては、悪いものの印象が残りやすく、一方で良いものは印象に残りにくい、という心理からだろう。



最後に、各ファンの分断について考察してみたい。
これらの上記の考察では、実写化ものに対する拒否反応を考えてきたが、それにしても実写化作品が叩かれ過ぎだ、と感じることがある。
実写版『がっこうぐらし!』のポスターが発表されたが、「スタッフは原作のことをわかってない」というツイートが1000以上リツイートされていた。まだ予告とポスターしか出ていないのにも関わらず、反発を抱く人が多いのだ。

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がっこうぐらし!』はゾンビものとはいえ絵柄は可愛らしいので、前述した実写にしたときの拒否感が大きいのはわかる。しかし、いくらなんでも反射的に叩かれ過ぎではなかろうか。
私が提唱する説は、「実写化ものを叩く層は映画をあまり見ない」説だ。どちらかというとアニメや漫画などのいわゆる二次元コンテンツを中心に親しみ、そもそも実写で役者が演じる作品をあまり見てこなかったため、実写のコンテンツを見る文法的なものがあまり培われていないのではないか。
さらに、ツイッターでは特に顕著だが、ネット上ではなんとなくファンコミュニティのようなものが発生し、自分と似た趣味の人との交流が多くなり、そうでない人とは少なくなる。そのコミュニティの持つ力のようなもので、自分を無意識・意識してを問わず「実写化反対派」であると規定し、そのポジションから多くの物事を判定するようになるのではないか。これは実写化を受け入れる者もまた然りだ。
ツイッターで政治の話をしている界隈を見てもわかるが、人は各事柄を是々非々で判断するよりは、自分の思想のポジションを定め、物事をわかりやすく一律に賛成・反対するようになりがちである。そして集団の中だとこの傾向は更に強化される。学術的にも、ある似たような考えを持つ集団の中にいる人々は、考えをより先鋭化させていく傾向があるらしい。
要するに、多くの実写化に反対する人々は、作品の良し悪しとかはあまり考えず、とりあえず何かの作品が発表されれば「実写化け反対」と言っている傾向があるのではないか。監督をよく知らないまま悪く言う傾向もここから来るように思える。
また、これは自戒も込めて言うが、実写化反対の人を批判する人々も、実写化反対派に苛立つあまり、実写化作品を好意的に見るバイアスがかかりがちなのではないだろうか。


まとめると、仮説はこうだ。


  1. 実写化作品をあくまで原作に付随する枝葉のように考えている。
  2. 特にディフォルメの大きいものは、実写との差が絵的にもそれ以外でも大きいため違和感が生じやすい。
  3. 悪い印象は良い印象より残りやすい。
  4. あまり実写作品を観ないコミュニティが、比較的反射的に叩いている。

いかがだろうか。


ここまで、実写化に反対する人々がなぜそのような行動をとるか考察してきた。繰り返すがあくまで根拠のないものなので、あくまで仮説として捉えていただきたい。
最後に自分の実写化作品に対するスタンスを言っておくと、特にSF・アクション要素のある作品はどんどんやってもらいたい。
世知辛い世の中でこういったジャンルは原作付きでないと企画が通りにくいらしい。特撮好きとしては、映像技術をどんどん発展させていくために、実写化ものであってもじゃんじゃんこういったジャンルは作られてほしいのだ。