スーパーふどげりさ

ふどげりさとはッッッ!!!神代より行われている行為のことである!!!!!

『ウルトラマンZ』は、田口清隆監督による「最強の世界」だった

アニメ化・実写化も果たした人気漫画『映像研には手を出すな!』には、「最強の世界」というワードが登場する。主人公のひとり・浅草氏が妄想、いや空想する、自らの美学と興味に基づいてデザインされた景色。これを具現化するため、浅草氏はアニメを制作していく……。
「最強の世界」とは、自分のビジョンが、たとえ独りよがりであろうとしっかり見えている作家が見ている景色なのだろうと思う。

田口清隆監督が『ウルトラマンZ』の企画に参加したとき、絶大な人気を誇り、10周年を迎えるウルトラマンゼロを主軸にすることは既に決まっていたという。ベリアルを絡め、さらにそのためにジードを出す、ということも。
このような条件を出されたならば、普通の人であったら「じゃあ、『ウルトラ銀河伝説』~『ジード』に連なるような、ゼロ・ベリアルサーガの新章にしよう」と考えるだろう。
だが、田口監督はそうしなかった。円谷プロ側が事前に作ってきた企画書を断り、気鋭の脚本家・吹原幸太氏とともに、新たな企画を練っていったのである。
放送された作品を見てみると、ゼロ・ジードの産みの親である坂本監督による6・7話を除き、ほとんどゼロ関連の要素が後景化しているのがわかる。
ビルスプリンターにより凶暴化した怪獣は、ついに本編には一体も出なかった。
ベリアロクは、見た目と声と口調がベリアルっぽいだけの全くの別人(?)である。そのベリアロク、そしてゼロ・ベリアル・ジードのメダルで変身するデルタライズクローが初登場となる15話も、対グリーザを主軸に進行する。ジードはこの回にも登場するが、6・7話に比べるとそのパーソナリティーに焦点は当てられず、あくまで先輩ウルトラマンとしての扱いに留まっている(尺の都合もあろうが)。
……と、このように、『Z』におけるゼロ・ベリアル・ジード要素は、商業的な要請によるものを除くとかなり少ない。『ジード』では、ゼロがレギュラー出演し、成長も描かれていたのとは対称的だ。

では、ゼロの要素が少ない分、『Z』はどのようなもので形作られているのか?
それは、SF要素、怪獣要素……といった、『ウルトラQ』『ウルトラマン』で示されていたものだ。言い換えれば、「空想特撮」の要素ともいえる。
ウルトラマンZ』は、ほとんどの回で怪獣が話の中心にいる。1話はゲネガーグ、2話はネロンガ、3話はゴモラ……。前述のように、パワーアップ回である15話も、グリーザが圧倒的な存在感を放つ。
また、言わずもがな、戦闘機はロボットへと形を変えつつも、防衛隊の5年ぶりの復活もトピックとなった。ワンダバもある!そしてその防衛隊であるストレイジは、これまでの防衛隊に比べると町工場的な無骨な装備が強調され、軍隊的な所作も含め、スタイリッシュではない泥臭いカッコよさが描かれている。
これは何に起因するのか?というと、やはり田口監督の作家性というに他ならない、と思う。田口監督は『Q』『マン』『セブン』の昭和1期作品好きを公言し、また好きな特撮映画に『ゴジラVSスペースゴジラ』『ガメラ2』を挙げる。『VSスペースゴジラ』(もちろん『VSメカゴジラ』も)には、人類が駆動するロボット怪獣が登場するのはもちろん、「泥臭いカッコよさ」は、MOGERAやガメラ2の自衛隊にも相通ずるものがある。そして、怪獣の特異な生態が脅威となり、またそれを分析して対処するストレイジ、という構図は、『ウルトラマン』や平成ガメラからも似たものを読み取ることができる。

怪獣が話の中心にいる、ということは、怪獣がそこにいるという非日常が立ち現れるということでもある。代表例が、『オーブ』で魔王獣により蹂躙される世界だろうか。
『Z』において最もわかりやすく表出しているのが、14話『四次元狂騒曲』だ。ブルトンの出現により時空が歪み、ストレイジは出撃さえできない。そして、「最も行きたい場所」を望んだハルキは……。中盤を盛り上げた傑作エピソードだが、その中心には常にブルトンがおり、ブルトンによって現出する非日常からドラマが駆動する。
演出面においても、ブルトンにより重力がおかしくなった室内は、我々に特撮映像の面白さを再確認させると同時に、「怪獣がいるという状況」により変化した景色を見せてくれるのだ。f:id:nyaoooshikipon:20201219101755j:plain

このように、『ウルトラマンZ』は、「ウルトラマンとは怪獣SFである」という基本を、全ての回ではないが忠実に守っている。起点となったゼロシリーズが、「ウルトラマンサーガ」以外は宇宙を舞台にし、アニメ的なキャラクターが繰り広げるヒーローの成長劇であったのにもかかわらず、だ。
そういう意味で、『ジード』とは真逆の作風であるともいえる。ゼロ・ベリアルサーガであるという原則に忠実に、SF要素を取り入れつつ新人ヒーローの自立を描ききった『ジード』と、ゼロ・ベリアルサーガはどこかに行ってしまい、ロボットVS怪獣ものをやっている『Z』 。
そう、『ウルトラマンZ』は、ある意味商業的要請で入れられたゼロ要素を、田口監督の作風で捩じ伏せたようなある種の歪みのある作品なのだ。

(なんかゼロをdisる感じになっちゃったけど、ゼロは大好きだしゼロシリーズではゼロファイト二部が好きです)

ここまで述べたほかにも、『ウルトラマンZ』には田口監督らしさが随所に溢れる。セブンガーのドラム缶型の体型は、『大怪獣映画 G』(未見……)に登場するロボットにどこか似ている。ヘビクラ隊長を演じる青柳尊哉氏は、もちろんジャグラス ジャグラーであることはもちろん、『オーブ』以来『女兵器701』『UNFIX』と田口作品の常連俳優でもある。また、吹原氏は『ゆうべはお楽しみでしたね』で初めて田口監督と組んで以来意気投合したタッグであるという。
特撮面も、1話冒頭から着ぐるみ怪獣と実景の合成というおなじみの技をさらにパワーアップして見せた。15話ではグリーザをデルタライズクローがビルごとぶち抜くカットがあるが、ビルを突き破るウルトラマンと怪獣(宇宙人)というのは、五月天のMVを想起させる。さらに、そこでビルの電気が消えていく表現も、『劇場版ウルトラマンX』で見られたものだ。
田口監督によるディレクションは、脚本や特撮面以外にも立ち現れる。
音楽においては、アルファエッジのテーマは伊福部昭を意識した民族音楽的なテーマを安瀬氏にお願いしたという。ここでもルーツは怪獣映画だ。
そして……バコさんを演じたのは『ゴジラVSスペースゴジラ』主演の橋爪淳氏であり、さらに最終回ではセブンガーに搭乗。しかも、その際のセリフはスペゴジオマージュであるという。(念のため……筆者が気付いたのではなくツイッターで知った)

このように、『ウルトラマンZ』はこれまで田口監督がメイン監督を務めた『X』『オーブ』以上に監督の作家性が発揮された、集大成的作品であるといえよう。
集大成であるということは、つまりどういうことか? その共通点から、田口監督の好きなもの、目指しているもの……といった「景色」が見えてくる。
その景色とは、まさに「空想特撮」の世界であり、怪獣により一変する日常、それに立ち向かう軍隊……そういったものであるのではないか。事実、田口監督は「『スターウォーズ』より『宇宙戦争』のほうが好き」であるともいう。

『R/B』は武居正能監督がメイン監督として参加した時点で大枠が決まっており、自由度が少なかったという。また、『ジード』も乙一氏が自由に結末を決めたわけではなく、ある程度円谷プロから構成は提示されていたという。『タイガ』も、シリアス路線で、というのは円谷側からの要請だったようだ。
このように、ここ数年のニュージェネ作品は円谷側の裁量が大きかった。が、田口監督はそれを変え、少なくない商業的制約や、コロナ禍による撮影制限などはありつつも自分のやりたいことを詰め込み、しかも大ヒットに導いたのだ。(ただ、もちろん悪の円谷VS正義の田口監督、という単純な構図ではおそらくないだろうことは、念のため釘を刺しておきたい。もともと、今年は怪獣推しでいこうという流れもあったようだ)
ウルトラマンZ』は、紛れもなく、田口監督の「最強の世界」であったように思う。

最後に、これまで言う機会を逃してきたが……田口監督とともに作品に多大な貢献をした吹原幸太氏のご冥福をお祈りしたい。ここまで田口監督の作家性について述べてきたが、それは多くの面で、吹原氏の作家性でもあっただろう。氏の新たな作品を見ることができない、という事実が残念でならない。
だが、田口監督、吹原氏、そして数多くのスタッフ・キャスト達が作り上げたウルトラマンZという「最強の世界」は、特撮史においてまばゆく輝くマイルストーンになったと思うし、それがきっと天国にも届いたと信じたい。

ウルトラマンZ Blu-ray BOX I

ウルトラマンZ Blu-ray BOX I

  • 発売日: 2021/01/27
  • メディア: Blu-ray