スーパーふどげりさ

ふどげりさとはッッッ!!!神代より行われている行為のことである!!!!!

『現実でラブコメできないとだれが決めた?』ラブコメ讃歌にして創作讃歌。

「現実とフィクションは違う」というのは、正解であるのと同時に間違いであると思う。もちろんほとんどの人は現実とフィクションは異なるものだと認識しているが、それはそれとしてフィクションは現実の人々によって創られるものだし、フィクションは現実に影響を与える。ONE PIECEを読んで海賊になる人が(多分)いないのは、海賊が現実には犯罪者であると読者が認識しているからだ。スポーツ漫画を読み、題材となるスポーツに魅力を感じそのスポーツを始める人は少なくない。

また、創作物に感銘を受け、好きが高じて自らも創り手に回る者も多い。『シン・エヴァンゲリオン劇場版』が記憶に新しい庵野秀明監督は、好きな作品を自分なりに咀嚼し自らのものとする、そうしたオタククリエイターの代表格だ。そして、今では『SSSS.GRIDMAN』をはじめ、そのエヴァに強い影響を受けた作品もある。創作による「好き」の線は連なっているのだ。


……と、ここまでは弊ブログらしい、特撮ものに近いジャンルのアニメだったが、今回はラノベ、それもラブコメの話。
『現実でラブコメできないとだれが決めた?』(略称:ラブだめ)の話だ。

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元からラブコメが好きなのと、通勤中などに手軽に摂取できる娯楽を求めているのもあり、ここしばらくラブコメもののライトノベルをたまに読んでいる。
そうした中で一際面白かった、否、厳密には一発目でいきなり大当たりを引いたのがこの『ラブだめ』であった。

あらすじは大体こんな感じである。
大のラブコメ好きの長坂耕平には、妹も幼馴染も現役アイドルのクラスメイトもいないし、ラブコメ的な展開も自然には起こらない。しかし彼は特技のデータ分析を活かし、現実世界においてラブコメを実現させようとするのだった……!

自分の筆力の拙さにより魅力を伝えられていないことと思うが、このライトノベルは面白い。「作為的にラブコメ展開を起こす」というコンセプトからして面白いし、かといってコンセプト負けもしていない。ラブコメ展開を起こすための手段がデータ収集、あるいは培ったデータを基にした人々の心理的誘導などの作戦というのも、ケイパーもの的なワクワク感がある。もちろん、ひょんなことから計画に協力する「共犯者」となった、クールで理屈屋な上野原彩乃(1巻表紙の人)や、現在耕平の意中の相手である、「ヒロイン適性S」というほど二次元美少女的な挙動を誇る(?)清里芽衣をはじめ、各キャラクターも魅力的だ。謎や伏線とその鮮やかな回収も見所である。もちろん、本作自体がラブコメである以上、恋愛レースでどのヒロインが勝つか予想したり、異なるヒロインを推すファンと罵り合う語り合うのも一興だろう。わかりやすい難点といえば、耕平の台詞や一人称視点の地の文が、ネットスラング多用でゾワッとくるところだろうか……(まあ、それは彩乃にキモいとか言われることで相対化がなされているし、読んでるうちに慣れる)。

しかし、私が真に感銘を受けたのはこの作品のコンセプト=耕平の信念だ。
耕平は過去にある挫折を経験したが再起し、現実にはそうそう起こり得ないラブコメ的展開を現実に起こすことを目指す。
これは言ってみれば、「創作に影響を受けて良い方向に現実を変えようとする」ことでもあるし、また「過去の創作に影響を受け、リスペクトとオマージュを捧げながら新しく創作をする」ことでもあるのだ。
本作は、ラノベを中心に、大量の実在するラブコメネタが挿入されている。オタクネタの多い作品など珍しくもないが、重要なのは耕平がただラブコメを嗜んでいるだけではなく、それに大きな影響を受け、ラブコメのような理想の青春を実現させんとしている点だ。
やり方こそ常軌を逸しているが、大好きな創作物に「自分もああなりたい」と思い、またそれを実現させるために努力する。これは、創作物に良い影響を受けて走り出す人への限りない肯定なのだ。

かつ、耕平がラブコメ大好きであるというのみならず、作品そのものにラブコメへの深い愛が感じられる。もちろん作者本人がツイッター等でラブコメ好きを公言しているというのもあるが、そこまで詳しくない自分でも「本当に好きなんだろうなあ」と肌で感じるほどにラブコメへの偏愛がこの作品からはにじみ出ている。挫折からの問題解決、過去語り、メインキャラからは少し離れた位置のサブキャラ……など「この手のジャンルあるある」を、自ら説明しつつ陳腐にならないように作中に取り入れている。先行作品を尊重しつつ、新たにアレンジを加え魅力を引き出す。作者のラブコメへの深い造詣があってこそのことだと思う。
また、こうした作品が作られるということ自体、ジャンルの歴史と発展のあらわれであろう。ファンタジー要素のないラブコメもののラノベが流行ってからぼちぼち10年以上が経ち(※ 筆者はラノベ史に詳しくないので、「そういえば俺妹とかとらドラとか流行ってからしばらく経つな……」というなんとなくの印象です)、こうした作品に魅せられた人が創り手に回る時代がやってきたのだ。
閑話休題。ラブコメに影響を受け、ラブコメへの愛を捧げながら新たなラブコメを作り出す、というのは、耕平の信念であり、かつ作品全体に貫かれた芯である、といえよう。

創作は、「実在しないものを作り出す」ということだ。現実と虚構を等価に信じることができ、フィクションのキャラクターに実在の人物と同じように強い感情を持ったりする人間だからこそ、創作に影響を受けたり、自らも創り手に回ったりすることが起こるのだ(またエヴァネタ!?)。
この作品は、「ラブコメの影響を受けて現実で行動を起こす」「ラブコメの影響を受けた新たなラブコメを作る」という二側面において、限りないラブコメ讃歌となっている。それと同時に、ラブコメだけでなくより普遍的な「創作に良い影響を受ける人」讃歌、そして創作讃歌となっているのだ。


何を言いたいかというと、
5/18に3巻が出るので買ってね!!!!!ってことでした。
1&2巻のほうはAmazonで50%ポイントバック中だそうです(5/16現在)(なんかうまく貼れなかった)。

 

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